寺地はるな先生の「大人は泣かないと思っていた」を読みました。
寺地はるな先生の新刊、「大人は泣かないと思っていた」をやっと読めた。
タイトルを知った時に、脳内に母の涙が思い出された。
あれは私が小学校4年生くらいのことだったと思う。
何が原因だったかは分からないが母と口論した。
いつも私を叱るとき、怒鳴り散らして私を言いくるめる母が涙をこぼし何かを言った姿を見て
「あぁ、母も泣くんだ」
と思った。
その後、「母も、『お母さん10年生』だもんなぁ。」と一人で妙に納得した。
タイトルを見て思い出すのが、そんな情景だったのが、なんだか悲しい。
本編はとっても素敵な物語だから余計に悲しい。
感想文、なんておこがましいなと思う。
読んで思ったことを感情のままにキーボードで打っているだけだ。
ただ、私は忘れっぽいから、今感じたこの感情を忘れたくない。
だから、思いついたまま先生の素晴らしい本を読んだ感情をぶつけるしかない。
田中絹江さんと木絹子さんの親子関係。
木絹子さんは「近過ぎた」とだけ言った。
また、桜木涼介さんという人から絹江さんにあてた手紙には
「家族というものは、ままならないものです。どうか、あまり自分を責めないようにと願うばかりです。」
という文章がある。
「近過ぎた」
絹江さんと木絹子さんの関係性に、私は自分に重なるものがあると(勝手に)思って涙した。
私は最近、ADD(不注意優勢型ADHD)と軽度の広汎性発達障害が重なっている、と医師に判断してもらった。(医療用語をあまり存じ上げないので、語弊があるかもしれません。)
「母親からの強い管理から、アタッチメントを上手に表出できないと言えないこともなく、それが軽度の広汎性発達障害と見誤っている可能性があるかもしれない」とのことだった。
母親との距離が、近過ぎる。
私の大好きな叔母は、姉である私の母によく「子離れしなよ」と怒っていた。
私も「親離れしたい」と思っていた。が、最期までできなかった。
多分、私たちの関係は歪んだ共依存だったんだろうなと思う。
母が急死したことで、私は強制的に親離れすることができた。
これでよかった、と思う。
親離れできた、と思った。
勿論母が死んで悲しい。悲しいけれど、解放感が無かったというと嘘になる。
私と私の母の話は、これでおしまい。
「小柳さんと小柳さん」について話したい。
小柳さんはレモンちゃんに「家族って、僕は、会社みたいなもんだと思う」
と話している。その事業目的は「生きていくこと」とはっきりと明言している。
生きていくことは大事業。
人の生死が関わる病院で働き、親にもう一人の人生を勝手に背負わされた小柳さんから出るこの言葉は、とてもとても、重い。
どのような経緯でこのような結果に至ったのか、私には想像するしかできない。
けれど、きっぱりと言う小柳さんに、とても救われた。
生きていくことは、大事業。
大事業なんだって、生きることって。
当たり前の顔して生きてるけど、大事業なんだよ!
次は、とっても大好きなお話について書き連ねます。
「あの子は花を摘まない」
私は「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が嫌いだ。
字面だけの話だ。中身は読んでいないので知らない。
読んだら感銘を受けるかもしれない。でも「今」の私の感情は「うるせー」という気持ちだ。
以前、「人間なんだから自分の足で好きな場所で咲くわ馬鹿野郎」というような内容のツイートがバズった記憶がある。まさにその通りだな、と思った。
咲く場所くらい、自分で選ぶ。だって私は人間で、植物じゃないから。
産まれた場所、親、住む地域、自分で選べるものではないかもしれない。
でも、生き方は、生き方くらいは自分で選ぶ。自分で選んで咲いてやる。
っていうか、咲かせてくれ。お願いだ。
そう思って生きてきた。
そんな中、広海さんは、「摘まれた花は、摘まれない花より、はやく枯れる。(中略)でも、私は花を摘む。摘まれた花はだって、咲いた場所とは違うところに行ける。違う景色を見ることが出来る。たとえ命が短くても。」と言ってくれた。背中を押してもらえた気がする。
自分の感情に素直になりすぎた。
素敵な「株式会社ベル」について話そう。(ここで働きたい…)
千夜子さんの「どうせ頭をつかうなら、あの時こうしてたらどうなったかな、なんてことじゃなくて、今いるこの場所をどうやったらもっと楽しくするか、ってことを考えたいのよね」という言葉が好きだ。
(置かれた場所で咲きなさいって言葉が嫌いとは言ったが、この言葉は好き。矛盾してる?)
広海さんが「現在のそのひとがいちばん美しく見えるスタイルを提案します」
と話すのが好きだ。
何年もお化粧をしていないマダムに、チークをいれて「化粧は、若づくりのためではない。異性に見せるためにするのでもない。自分の心を明るく保つためにある」と話すのが好きだ。
ブログやTwitterでも何度か触れたかもしれないが、私は本当に老若男女問わず人様にお化粧を施すのが好きだ。
祖母にメイク、ヘアセットをしたとき、表情が活き活きしてその後もルンルン気分で過ごしてくれたことがとても嬉しかった。
最近は、かわいがっているイトコにヘアメイクをしたのだけど、本当に本当に本当に!可愛く仕上がって、大声で「ご近所のみなさーーーん!聞いて下さーーーい!超絶可愛いで――――――――――――す!!!!!!!」と絶叫した。
あんなにアドレナリンが出たのは久しぶりだった。
その後お化粧品を買いに外に出て、何枚かポートレートを撮ってイトコと叔母に送った。
その晩、滅多に自撮りを送らないイトコから「偶然盛れた画像を送るね」って言われて自撮りを送ってもらった。
自撮りを送ってくれるなんてこと、普段はあまりなくて嬉しかった。
とってもとってもとっても可愛いかった。
涙が出るほどうれしかったしニマニマした。
メイクって、最高で最強。
あぁ、また自分語りをしてしまった。でも、語らせてくれる物語って本当にすごいな、と自分を正当化してみる。
広海さんが、翼に「子が親の面倒を見るべきだなんて、思わなくていいの。なんにもできないひとだけど、ひとりになったらなったで、なんとかするのよ。いいえ、なんとかしなきゃ。翼がひとりで全部背負う必要はないの。」と語る言葉
広海さんの隣人が「おかしいでしょう?自分が住んでる部屋の掃除だし、自分が使ったタオルや自分が履いたパンツの洗濯なのに『手伝う』って。どうしてそんなに他人事なのかなって」と漏らすシーン。
前のエントリで、私は「自立」について書いた。
料理や台所は私の領域で、洗濯はできないときは父にお願いする、と書いた。
10月に入り、仕事の量が増え、私はキャパオーバーになっていた。
私だけではなく、周囲の人もキャパオーバーになっていたので、発達障害を持つ私の苦労は、まぁ、お察しくださいとしか言いようがない。
そんな中、以前のように「家族のために」作り置きをすることができなくなった。
自分のことで精いっぱいだった。
父に、仕事量を詳細に伝え(現状を正確に伝えるため、私の苦手な数字を使って説明をした。伝える努力をして偉いぞチョロ美!)「そんなわけで作り置き無理です。」と伝えた。
以前と同じレベルの料理を求めるのであれば金銭を要求します、と伝えたらそれはできかねると言われたので「じゃ、自分のことは自分で。」となった。
それ以来、私は洗濯物は自分で洗濯して干して(普通のことである)自分が食べる分の料理だけを用意し、自分が使った調理器具、食器類だけを洗う(至極当然のことである)という生活を送っている。
私としては「家事のストライキ」であるが、よくよく考えてみるとこれが当たり前なのだ。
序盤に翼が「俺たちはたぶん母に甘えていたんだ」と父に向けようとした言葉を飲み込んだ。そして、お母さんである広海さんが家を出ていく決意を固めるために、自分や父のいないところで何度泣いたのだろうかと想像した。思春期の彼が。
私たち家族も、「専業主婦」という母に甘えていた。
「専業主婦という仕事なんだから、家事をやるのは当然でしょう」と甘えていた。
それが母を苦しめていたんだな、と思う。ごめんね、お母さん。
謝るけど許してないところもある。
死んだ人を美化するのは、私はあまり好きじゃない。
平野さんについても、書こう。
平野さん。声の小さい平野さん。自己主張の苦手な平野さん。
私は、認めたくないけど、平野さんと似ているところが、いくつもある。
いくつもあるが、書きたくないので書かない。ただ、これだけは。
「自分の好きな人のもとへ全速力で走っていくようなひたむきさ」を私も持ち合わせていない。
だって、怖い。
全速力で走って、拒まれるのは目に見えてる。
でも、いつか、そんなひたむきさを持ちたい。全速力でスッ転んで拒まれるって分かっても走っていきたい。
最終章で、「あの」平野さんが緊急事態の翼に舞い降りた急な仕事を自分から引き受け、「あの」飯盛に「一緒に手伝って!」と涙目で訴える。
よかった、よかった!平野さんが成長してる!すごい!よかった!平野さんが、ちょっとずつ走ってる。それは、好きな人のもとじゃないかもしれないけれど、でも絶対に平野さんにとって良い方向へ走ってる!
嬉しくて嬉しくて心がスッと軽くなった。頑張れ、平野さん。頑張れ、チョロ美。
「おれは外蓑を脱げない」についても触れたい。
自分が信じてきた価値観や人生観に取り残されてがんじがらめになっている老いた人。
と26歳の私は彼について思う。
彼の奥さんが「今まではね、口答えするよりハイハイって聞いておけば面倒がないと思ってやり過ごしてたんです」と話す。
あぁ、これ私のことだ。
多分、他の読者さんも感じていると思う。
私は思春期の頃、親から(また親かよ)何か注意されていれば「ハイ」と黙って口答えせず唇を結んで嵐が過ぎるのを待っていた。
親の説教を、物分かりの良い振りして右から左へ聞き流して、嵐が過ぎるのをまっていた。
「あなたは昔から、金はかかるけど手のかからない子ね」と言われて育ってきた。
両家にとっての初孫だから、蝶よ花よと育てられたのよ、と周囲に言われてきた。
そりゃ嬉しいよ。嬉しいけど、嬉しいけどさぁ…。
もしかしたら、割と厳しく躾られたほうかもしれない。
礼儀、作法や言葉遣いや挨拶。自分で習得してきたものもあるけど、その基盤は親だ。
躾。身を美しくとかいて躾とよむ。はーん。そりゃ結構。美しくしといて損することはないかもね。
何を書きたいのかわからなくなってきた。自分のことはいい加減この辺で切り上げよう……。
さて、彼についてだ。
時代の価値観についていけない彼が、「長生きしたいなぁ、あき子」と呟く。
これは、彼にへばりついていた外蓑が一枚剥がれたのではないか?
きっと、大きくは変わらない。いつか私も時代に取り残されて外蓑にぐるぐる巻きにされて「最近の若者は」なんて言うのかもしれない。(絶対に言いたくないけど)
でも、少しずつ、少しずつ、あき子さんの彼への長い間溜めていた文句を聞きながら、「そう思っていたんだなぁ」って思って少しずつ価値観を変容させながら長生きしてほしいと思う。人は変化していく生物だから。
それと、松田えま(仮)ちゃん。
私は彼女が大大大大大好きだ。突然何も言わず去っていった恋人の披露宴に、緻密な計画を立てて乗り込んで、隠れろと他人のジジイに言われて「なんで私が隠れないといけないんですか?」と毅然という彼女が私はとってもとってもとっても!大好きだ。
この物語に出てくる女性はみんな最高の人だが、私はえまちゃんがトップオブトップで好きである。
最後に。
翼くんについて。
彼は、彼は、なんというか、強い「人」だ。
「強くて美しい人」だ。
私は九州についてよく知らない。
九州の文化についてもよく知らない。
偏った知識しかないので、気分を害されたら申し訳ないが「九州男児」という言葉が現存する世界で翼くんが唐津で生きるのはとても苦労することが多いかもしれない。
それでも翼くんは、苦しく思うことがあったとしても、「翼」を持っているから大丈夫なんだ、と思う。
上手くいえない。
ジェンダーレス、ともちょっと違う。
「男らしい」「女らしい」ってなんだろうってここ1~2年思うことがある。
私は、性別で区切らないでって思う。
例えば、翼くんがお菓子作りが好きなのは、翼くんが自分で「好きだ」と思ったから趣味になっただけだし、お菓子作りを「女らしい」なんていう輩はぶっ飛ばしてやりたい。
翼くんが「好きだ」「いいな」と取捨選択した結果、今の翼くんになったのだから、
それを「男らしくない」だの「なよなよしてる」だの「女子力高い」だの言うやつら、全員まとめてドロップキックしてやりたい。
外見だって彼が好きでそうしてる、のだとおもう。まぁ、身体的特徴なんて自分ではどうしようもないけど、翼くんが今の自分で良しと思ってるから良いのだ。
翼くんが話す言葉が好きだ。
「俺はお酌警察を壊滅させたい」
「どなりつけて自分の要求を通すというやりかたは、品が無いから、普段は絶対やらないというだけです、ついでに普段は宴席でお酌もしません」
「お母さんはもう振り返らずに生きていけばいいよ 昔のことにたいして罪悪感を抱えるんじゃなくて、そうしてまで選びとったものを大切にして生きてくれるほうがいい、そのほうがずっといい」
「黙って去っていくのは、卑怯なことです。」
「人間には感情があるんですよ 交際していた相手が感情を表現する機会を奪う権利など誰にもない」
「去っていかれたほうの人間が『忘れる』をやりとげるのは、大仕事です。そこに至るまでに、何度も泣いたかもしれない(中略)他人が、治癒後の姿だけを見て『簡単に治ったんだね。じゃ、別にいいじゃない。怪我したことなんか忘れなよ』なんて言うもんじゃないと思いますね」
そんな翼くんに啖呵を切るレモンちゃんが好きだ。一等好きなのは
「もし何々だったらどうする?みたいな質問、嫌い。そうなってみないとわかんないもん。翼くんってちょっと、そういう先の先の仮定のことばっかり考えすぎじゃない?慎重っていうかさ おくびょうものなんだよはっきり言って」
というレモンちゃん。
あぁ、寺地先生の作品は、登場人物は、なんて素敵な人で溢れているんだろう。
他にも、掘り下げたい人がたくさんいる。
でも、今日は、ここまで。
最後に。
縁あって、寺地先生の本をすすめてくれたウメコさん。ありがとうございます。
貴女のLINEのおかげで車の点検に行くことが出来、本を読む時間を得て、自分の意見をまとめるまでに回復しました。本当に本当にいつもありがとうございます。
そして、寺地先生。
いつも素晴らしい小説を送り出してくださってありがとうございます。
先生の作品に触れる度、「まだ生きていよう、まだ頑張ろう、もうちょっとだけ、頑張ってみよう」となります。お手紙で、直筆でかけたらよいのだけれど、まだちょっと時間がかかりそうです。味気ないフォントで申し訳ありません。
いつか、必ず、生きているうちに、感謝のお手紙をお送りしたいです。
集英社さん、書店さん、素晴らしい寺地先生の本を出版してくださって、私に買う機会を与えてくださってありがとうございます。
書店員さん、いつもお疲れ様です。私は元同業者です。心身を壊してしまって本屋さんで働けなくなりましたが、どうぞ無理せず元気に楽しく働いてください。
私も、当分は今の職場で頑張ります。
大人は泣かないと思っていた(けれどチョロ美はいくつになっても泣く)